自動車のオークションは1967年に初のオークション開催当時は不定期開催で手ぜりでした。
イメージは、漁港の魚市場でのマグロやカニの競りを思い浮かべてください。
コンダクターと購入希望者のやり取りは専門の“身振り”や“言葉”で競りを行います。
ベイオーク(当時は大阪南港中古自動車協同組合)は、1978年に第1回目のオークションを開催
下記は当時の弊社の写真です。
1台成約するたびに、大いに盛り上がりました。

1978-84年までの手ぜりの様子

1978年頃の南港の航空写真

1982年頃南港カーシティを設立し、より多くの方がオークションに参加できるようになりました。
先ほどの写真から4年ほど経った1984年のPOSシステムを導入した写真です。
出品車両は応札席(以降POS席)の前を横切るよう動かす「車両引き回し方式」で行っています。
競りをしながら、車両の動きや排気ガスの状態や色などを実際に見て確認しながら競りをしています。
手ぜりでは出品台数の増加に対して、オークションの競りを取り仕切る競師の処理能力にも限界が訪れオークション開始から終了まで時間がかかり夜遅くなると、疲労により応札コールを聞き逃してしまったりなど競りの乱れとなるようになりました。
また応札側にとっても、応札する販売店が来場者の顔で分かるため、同業他社との軋轢が生じたり、欲しい車が知り合いの業者と競合して手を挙げにくく応札できないなどの問題がありました。
このような背景と技術革新もあり、コンピューターによるPOSシステムが導入されていきました。
ベイオーク(当時ONAA)は、手ぜり会場の北側にPOSシステムを導入した新会場と
立体駐車場を建立しより多くの車両を競ることが出来るようになりました。
しかし、この当時もまだネットは普及されていないので、来場した方だけが競りに参加できるので
年々西日本各地から来場者数が増加していきました。

1984年POSシステム導入・新会場設立
1984年の出来事
1/24 タカラ缶チューハイ発売
3/11 風の谷のナウシカ公開
3/18 グリコ・森永事件
5/1 東洋工業株式会社が株式会社マツダに社名変更
11/1 新紙幣 1万円:福沢諭吉 5千:新渡戸稲造 千:夏目漱石
さらに6年ほど
「車両引き回し方式」では、ガス欠や不動車など車両に問題が発生した場合、
会場のスタッフが不動車を押すなどして競りの進行が妨げられるという問題がありました。
また当時はネットも普及しておらず加盟会員の増加により来場者がPOS席を上回る事態も発生し
POS席の増築が急務となっていましたが、車両引き回しのスペース確保のためPOS席が増築
できない会場もありました。
POS席不足の問題、ガス欠車両の問題、会場内引き回しでの車両同士の接触や事故の問題などは
映像化技術・POSシステムの発展で、出品車は事前
に撮影を行い、競りをするときは撮影したものを
表示し、さらに2台同時に競りを行えるようになりました。
これにより、車を動かす時間が短縮し、人手も解消したので、セリ時間が大幅に短縮されました。
しかし、この時点でもまだネットは普及されていないので、この会場の中だけの競りです。
ベイオークでは、当時の面影が残っております。
引き回しされている車両が見れるようにメイン会場の造りはシアター式になっており
メイン会場の先頭両側のカーテンの裏には車輌の出入り用のシャッターがあります。
来場者の座席確保の為、車道と2FロビーまでPOS席を増築しております。

1992年
現在の事務局とサブ会場の建物を建立当時は3Fに食堂・1Fは「車両引き回し方式」のため駐車場兼通路となっていました。

1998年完全映像2レーン(写真は2000年頃)
1998年の出来事
2/7 長野オリンピック開幕
4/4 アントニオ猪木引退
4/5 明石海峡大橋開通
7/30 小渕内閣発足
8/29 初代iMac発売
10/21 ゲームボーイ発売
2000年代はインターネットの普及に伴い 他会場との連携がとれるようになったのでベイオークでは
多くの会場と提携をし日本全国の方が落札できるように尽力しました。
ネットでの参加は当初 入札(事前に落札希望金額を設定する)のみでしたが通信の強化・安定とともに
リアルタイムに応札が出来るようになったので、会場に来なくてもネットでオークションに参加する方
も増加しました。
2001年自社ネットのベイネットにてインターネットを利用したリアル応札スタート。
2005年にベイネットを搭載したPOS機を全席に設置
2001年の出来事
4/2 イチロー選手がアメリカでメジャーデビュー
4/26 第一次小泉内閣発足
5/20 日本語版Wikipedia発足
9/11 アメリカ同時多発テロ事件
12/1 愛子内親王誕生












